はかるはなし

おひゃあです、きじです
昨晩、ともだちのもふちゃんとお話をして、思ったことがあったので書いてみるね

わたしは今春からカタリバという教育NPO団体にちょこちょこお邪魔させてもらっています
学歴や専門に関係なく、目的のために集まるコミュニティはすごく心地がいいし、
ひとの気持ちや行動を動かすお手伝いができることっていいな〜って思う
まだ2校しか行ったことないんだけど、それでも参加するたびにおおきくて新鮮で充実した時間や出会いを経験します

そのためもあってか、大学で学ぶということにいまいち充実感がないんだ
語学とか心理なんかの授業を受けていても、これはわたしの学びたいことなのかなあってよく思う
教授の趣味でやってる、雑学番組でやるような知識ばっかりひけらかされて、これははたして大学という学びの場にきてまで、馬鹿みたいに高い学費を払ってもらってまで学ぶことなのかなあ って
まだ入ってたった2か月だし、1年生のうちは専門のための導入授業ばっかりだからなのかもしれないけど

極端な話、授業を受けるのも、ともだちをつくるのも、サークルもインカレなら、その大学の生徒じゃなくたってできるでしょう

いまわたしが大学に通っているのは、大学生であるためにほかならない
たっかいたっかい学費を払って手にしているものは早稲田大学の学生証1枚で、
それは自分の身分や将来を助けてくれる武器でもあり、
ぬるい風呂につかるためのチケットでもあり、
時間やお金を奪っていくどろぼうなのかもしれない


学生証と自分のやりたいことを天秤にかけられる人ってすごく少ないと思うんです
考えるまでもないとか、やりたいことが見つかっていないとか、やりたいことは学生証の中にすっぽり入っているとか、
理由はいろいろあるのだろうけど
なかにはいったん進んだ道を外れることがこわくて、あるいはいったん得た肩書きを失うことがこわくて、本位じゃないけどきっとここでもできるはずだよと
学生証のなかにやりたいことを押し込んでしまっている人もいるんじゃないかなっておもいます
その人がはみだした学生証のなかみに気づいて引きずりだして見つめなおして天秤にかけたとき、あたらしい道が見えてくるのかもしれない
もちろん早ければいいわけじゃない、重いほうを取らなきゃいけないわけじゃない、変化がいいとは限らない
ただ、すこしかたいカードよりも、たいせつなものが見つかるのかもしれない

きじはまだ学生証をしらべているところです