1月のはなし

ひさしぶりに月末記事を書きます

本はどうしても集中して読めなくて、映像作品をたくさん観ました
映像の引力は強い ああ流れていってる、ちゃんと観なきゃ置いてかれちゃうっていう拘束力はこういうときに少し救いになります


the 有頂天ホテル
元気になった

コットン・クラブ
リチャード・ギアコルネットグレゴリー・ハインズ&モーリス・ハインズ実兄弟のデュオがいい。
この時代の成金は見ててひやひやします。

TAP
筋はないようなもんだけど、みんなで街で踊りだすシーンと、コットンクラブの時代をタップで生きたオっさんたちの回しシーンがすごい。
すごいけど名前(何人かは実名で出てくる)とスタイルが一致してない。と言ったらともだちにおいおいおいと言われました

ドグラ・マグラ
原作挫折組なので最後にあああ…ってなった
男の子の塩顔がいい

AKIRA
知ってるようでぜんぜん知らなかったアキラ。金田がアキラだと思ってました。
高層ビル群と光の使いかたがめちゃかっこいいです
女の子はかわいくない

舞妓Haaaan!
きつい

アシュラ
ジョージ秋山原作のアニメ映画。フルCGってヌルヌルした動きとデフォルメされたキャラがミスマッチで食わず嫌いだったんですがアナ雪観たら意外とすんなり受け入れられました。
気ちがいや食人などタブー要素多いんだけど野沢雅子が声当ててるだけで謎の安心感がある

ジゴロ・イン・ニューヨーク
本屋をたたんだ中年がお花屋さんでバイトしながら男娼する男とポン引き。いいね。
シャイでどもりまくるのに強引なウディ・アレンがかわいい。
ウディ・アレン作品観たことないので近いうちに手を出そうと思います

アデル、ブルーは熱い色
これは長く書く。
特殊な映画でした。
アデルちゃんがエマちゃんと恋愛の酸いや甘いを覚えていく話なんだけど、いやなほどに映されてるのが三大欲求への忠実さと汚さ。
食事もセックスも睡眠も(アデルについては排泄以外全部の生活が)しっかりと描かれてます。ごーごー聞こえてきそうなくらい爆睡するし、カメラを忘れてるのかと思うくらい夢中でセックスする。
食べ方も特徴的で、とくに労働者階級家庭のアデルは食べ方がすごく汚い。
スパゲッティは巻かないし、くっちゃくっちゃ音立てて食べるし、口開けながら食べるので咀嚼したものや糸引く唾液が丸見えになる。この汚さは性欲の強さとつながるんじゃないかなと思います
ほかにもばさばさとした髪やだらだら流れ拭かれようともしない涙と鼻水(鼻水なんか舐めてる)、いっつもぽかんと開いた口、笑わないどろんとした目などなんかなあ〜というこまごま美しくないポイントがあって、
友人に愛され男にモテて、かわいいと評されるアデルだけど近しくないもの、映像を通してほとんどぜんぶの生活をアップで観てるわたしたちには彼女がややグロテスクなものに映る。
アデルを愛する人たちも、ふっと情が切れた瞬間そういうのが嫌で汚くてたまらなくなると思います。
さきほどアップでって書いたけど、作中カメラはほとんどつねにアップ。コーヒーなど手元付近のものを映すにもカメラは引かずにばっばっと往復する。これもめずらしいというか、わたしは場面追ったりアデルの顔ばっか見てるのに疲れた笑

またこの映画ではいつも青色がどこかしらに使われています
たとえばアデルの服、バーのライト、シーツ、そしてエマの髪。つまり青はエマを表す色で、アデルの彼女に対する(青)色への欲望=色欲は画面につねに映されている。エマが髪色を戻したあともアデルはブルーのドレスを着てエマの展覧会へ出かけます。どこまでもアデルに寄り添ったとこから撮られてる映画で、だから「ブルーは熱い色」なのかなと

ほか撮影時間の長さや女優アデルの名前を主人公アデルに持ってきたこと、流れを教えてあとアドリブという撮影方法、など小ネタ知るとおもしろい。途中寝たんだけどね。3時間は長いよ

食事やクンニリングス、指フェラなどほんと口元へ執着した描写が多いので口唇フェチは楽しいかも。
レア・セドゥのケツが白くてきれいで最高でした。

笑の大学
オープンセットよかった! けど、やっぱりこれは舞台で観るのがいちばん向いてると思う。

ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう
ブラックなオチもあるけどくだらなくておもしろい。
出てくるのは貞操帯、ズーフィリア(ソドミー)、青姦、女装、性癖クイズ、巨大オッパイ、精子
わたしは羊の話が好きでした。

華氏911
これも長く書く
なぜ、なぜこんな黒い関係や対応の遅さがあっても国民は声を上げなかったのか、目的も知らずに戦地へ赴いたのか、なんのために、なぜなんの危害も加えないのに殺されるのか、なぜという疑問しか出ない。
でもさまざまな制約を潜り抜けた映画という完成形でしかこのことを知れなかったのだから自分だって多いに馬鹿な一だよなあと思う
ほかの媒体で彼はどういう評価なんだろう。wikiには911後の迅速な対応ってあったけど、映画見たぶんじゃどう考えてもなにもかも遅すぎる。前半関係性が絡みすぎてうまく飲み込めなかったけど…

もちろんこの映画をうのみにするんじゃないけど
救いを求める依代たる宗教に、神に、アメリカを殺してくれと悲願するイラク民間人や、頭が割れて、腕が裂けて、ぐったりと失禁している子ども、死んだ米兵を焼き、叩き、吊し上げる彼らの怒りは絶対作りものではなくて、わたしはたぶん生まれて初めて心から怖いものとして戦争を見た。
立食パーティーシャンパンを揺らしながら「戦争は人には悪いが会社には有利だ」と笑う権威、ガムを噛みながら「大統領を信じる」と言うブリトニー・スピアーズ、当然のように「軍隊に入るのは良いこと」と語りながら息子の死に泣き叫ぶ愛国婦人、音楽を聴きながら人を殺す若い軍人、この国の人たちがなにを考えているのかわたしにはわからなかった。


映画はここまでで あとは寄生獣と「山田孝之東京都北区赤羽」とかをちらちらとみてます。

あ、そうそう、墓場鬼太郎の「まんがビデオ」版がめっちゃおもしろいです。
これを観たあとだとテレビ版墓場鬼太郎は小奇麗だな〜って印象が強いです(DVD2巻まで観た)(OPはめちゃめちゃすき)
目玉、腐乱死体、地獄のねっとり感いいかんじです

眼球譚もちまちま読み返してるものだからもう目玉の話ばっか


近況としては就活がじわじわと始まっててヤバイ。まわりすでに決まってる人いてヤバイ。自己分析たいしてやらないまま業界企業研究のタームにきててヤバイ。これ夏まで続くのヤバイ!
のに3月末にタップの公演に出る!ヤバイ!
春にはゼミの発表がある! 夏からはゼミ論!
2014年もけっこう突っ走ったけど 今年も別の雰囲気で早く終わりそうです 終わってほしい

おわり

だめだった2014のはなし

2014年、は、夏ではっきりと生き方が変わってしまった。
年明けから夏までは本を読んだり映画を観たり美術館へ行ったりしてなかなかアクティブに生きていました。
夏から年末まではサークルばっかりしてた。

タップは大学で始めて三年目だったけど、技術もコミュ力もだめだめだったわたしはだいぶ長いことなじめていなかったのになんでかこのごろになって楽しくなってしまって、年末の引退までそればっかり気にして駆け抜けました
後悔も不満もまだくすぶっているけど楽しいこともたくさんあったし好きな人たちも覚えていたい時間もたくさん増えた

それらへかけてきた時間はそこでしか得られないものだったし、ありがたく思う気持はたくさんあります

けど、タップ…というよりサークルという、努力の値や人となりで評価されて公演の結果の如何があやふやな楽しい場は、夏まで取り入れてきたものものがはたしてわたしの肉となっているのか、どうしたら到達を確信できるのか、あたったものへなにを言えば安心できるのか、
わからなくなってもいた――というかそういうものを読むことを諦めてしまった、わたしの逃げ道となってしまった

だから夏が終わってからブログを更新できるほどのものに触れてこなかったし、全部終わって外から眺めることしかできない今、タップをしていた楽しかった自分をなにも肯定できないでいる
そこにいない今、なにもない今、2年前と変わらない、書き方さえ戻りかけている

今年は終わったときにいい景色が見られているよう生きたいです

夏とかのはなし

8月はなんだか長かったくせに、月跨ぎのサークル2泊合宿に行ってきたらすぐに夏休みが終わってしまってもう10月の上旬が終わりかけている
最近サークルのことばかり楽しくて時間かけなくてもいいタスクに無駄に凝って直したりやらなきゃいけないことや成果や評価を後回しにしていてよくない
過ぎたことばかり懐かしんでも時間が犬死にしていくだけだしね
なんだかいろいろやるぞと思っていたのになんでだろうなんでかぜんぜんできてないや

そんなことで、ゼミの夏季課題が8000字あったんですが、ネタが浮かばないままにぜんぜん手をつけていなくて、ひいこらしながら徹夜明けの当日にとりあえずどうにか字数は埋まり、ただいまぶるぶるしながら評価を待っています
夏休みはそのほかにぶあつい本いくつかを読もうとしてみたり(読破できたのはない)しながら、テマティスム的な引用リスト(小説中でべたつきのあるものが出てくる箇所を探して延々とワードに打ち込んだ)をちんたら作ったりしていた
ゼミ論もこの方向(美食倶楽部のかんじ)でいきそうなんだけど、これ、親とか就活先とかになんて言えばいんだろう、、
はずかしくはないけど説明しがたいね なんだか

というかこのテーマそこそこ調子いいときじゃないと読めない書けないので手間です しょんぼりしてるときにヌルヌルで気持ちいいみたいな文章抜き出して打つのは機械的作業とはいえウッてなる

リストを作る中でいろいろ読み返しておもろかったのが大江の死者の奢り・飼育
きもちいいぬるりが好きだと思っていたけどこういうぐぬりとしたものに囲まれてああどうにもならない結局だめじゃんみたいな話もけっこう好きかもしれない
フットボール積んでるから読まなきゃ

あとは『吐き気』という、いろんな作家や哲学者の言ってきたそれをガッと800頁くらいにまとめた本があって(挫折したぶあつい本の中の一)、カフカの著作にまつわる吐き気についての記述がおもしろかった。
日本の小説では醜い老婆やグロテスクな身体ってまだあまり見かけない気がするな。と言えるほど読んでないけど。
アブジェクトということばも覚えたけど、クリステヴァの文章が難しいらしいのでたぶん手つけないと思う

そうだ 夏休みに読んだ松浦理英子がすごく好きでした
ゼミの先生におすすめされたナチュラル・ウーマンとセヴァスチャン、親指Pを読んだ
彼女の書く性のありかた 女性性 なんかよかった こんなの言うのもおこがましいけども似た考えを持ってる気がする
のでバタイユから逸れて彼女が好きだというジュネを読んでみたい


なんだかもう思ったことがそのまま垂れ流れてる ねます

7月のはなし

夏休みだ!
といってもあれやこれやと課題があるのであまりお休み気分ではありません。
むしろタイムキープしてくれるものがないのでやや不安な今夏です。

今月読んだり観たりしたもの

・本
福田繁雄のからくりデザイン』
『アイデアのエレメント』
福田繁雄大回顧展図録』
『錯視芸術の巨匠たち―世界のだまし絵作家20人の傑作集』
レポートのネタに再読。
小学生のとき朝日新聞の日曜版で彼のコラムを読んでからのファンなので、好きなものとしてはいちばん息が長いと思う。
……のだけど、読むより見てよ、それが早いよってかんじなのでいざレポート書くとなるとたいへんだった。

『葉桜の季節に君を想うということ』
予備知識ゼロで読んだら気持ちよくだまされました。

『ソドム百二十日』
キュルヴァル法院長の人物説明はさすがに吐き気をもよおした。
澁澤版だったので序章しか読んでないけどもうおなかいっぱい
うんこ好きとジジイが男の子に掘られるかんじのが好きな人はぜひ。

少年愛の美学
尻の穴に対する情熱がすごい。
ソドムと並行して読んでたらさすがにきちくて1/3くらいで中断したまま放置してます。
でもたぶんあとの2/3も尻の話しかしてない。尻の穴の美学でよかったんじゃないか。
A感覚とV感覚とP感覚、ふんいきはわかるけど具体的にどんな感覚だかよくわからん

『異邦人』
ここまで演技を廃していながらカミュ自身は演劇界でも生きていたっていうのがおもしろい。
同じ不条理小説でもカフカより開かれたかんじがする
カミュとかサルトルとか、文学で大きい論争が起こるときってどんなかんじなんだろうね。今もあるのかなそういうの。

言論統制
これもレポートのネタ用に。
1940年ごろに紙幅采配から内容の検閲から出版関係のすべてを握ってた独裁者と言われる人の、日記が最近見つかって、読んでみたら実はそうでもなかったんじゃ?という本。たぶん

『夜叉ヶ池』
戯曲はじめて読んだ。百合ちゃんかわいすぎっすね。
高野聖もっかいトライしよう

シューマンの指』
奥泉光。図書館行ったときに読んでるのでまだ途中。
この作品だけなのかほかのもなのかわからんけど説明が多い

『マダム・エドワルダ』
神が出てくるとウッてなる 神のいる場所で生まれ育った人ってやっぱりその存在が大きいんだなあと
エロティシズムのそのへんの項と併せて読むといいのかなって思いました。(よくわからんくて飛ばした)
参考になりそうだなあと思ってまだ読んでないサイト↓
http://ookajun.com/news/1497/

『蔵の中』
語りかたがよかった。きもの好きっていうのも。

『読書について』
すんませんすんませんってなりながら読んだけどこれは幼いころからいいものを見たり読んだり考えたりできてた人が書いたんだなあとも思う
ショーペンハウアーがともだちだったら「おまえにはわかんねえよ!!!」ってぶちギレると思います

『あらくれ』
いま読んでるもの。
お島ちゃん…お島ちゃん…

『モンスターの歴史』
モンスターとか畸形から歴史をまとめた本。文章の組み方は読みづらくもうちょっとボリュームあってもいいなと思うけどわかりやすくておもしろい。

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
いまのとこ「三月の5日間」だけ読んだ。
あーなるほどこんなかんじかあってかんじ。好きでも嫌いでもない

『日本小説技術史』
8月に読破したい本。


・映画
未知との遭遇
音が曲になり、語がことばになりという親和がいいなあと思った。
宇宙人とお近づきになりたいというのはよくわからんけど。

「叫」
思い出したくねえ

「マンマ・ミーア」
ミュージカル好きの人たちには高評価だけどあんま好きじゃなかったなあ。
お話自体に嫌悪感が。

超高速!参勤交代
ちねん君のM字開脚と蔵之介の喘ぎはぜひシアターで

レザボア・ドッグス
ブロンドさん推しです
音楽とおしゃべりがいいなって思ったけどそういう楽しみ方でいいのかな。

「未来展望」
なるほどとは思ったけどおもしろいかと言われるとウーン

「夜叉ヶ池」
キャストぴったりだった。百合ちゃんと白雪ちゃんが同一人物なのもいいね。
坂東玉三郎の色気と山崎努の若さと加藤剛の声と矢崎滋のしゃべりと石井めぐみ丹阿弥谷津子のお顔がたいへんよろしゅうございました。冨田のシンセは単体で聴いてたほうが好きだったかも。

パルプ・フィクション
ラストはかっこよかったけどジュールスは死んでるかもしれないのか。
神とトイレと足に注目しつつもう一回観たい。
ツイスト笑った

「ポーラX」
まわりの人にカラックス推しが多いので観てみたけど正直さっぱりだった。
おもしろいって思った人いたらおしえてください‥


読むべき本から逃げない夏にします、きっと

オルセー展に行ってきたはなし

今期西洋近代美術という講義を取っていて、文字通り西洋近代の美術を勉強する講義で、これがなかなかおもしろく、期末がレポートではなく試験なのもあって、いろいろ覚えるていどに勉強したし、補講課題のレポートでは19世紀以降の絵を扱う展覧会に行ってこいとのことだったので、国立新美術館で始まったオルセー美術館展に行ってきました。

オルセー美術館は1848-1914年の美術作品を主に展示している美術館で、1860年くらいから盛り上がった印象派の作品がかなりたくさん収蔵されてる。印象派っていうのはそれまでスポットを浴びなかった風景や日常の一瞬に着目した人たちで、瞬間を描いてる感を出すためのササッとした一見未完成っぽいタッチが特徴。
従来のアカデミスム:時間をかけて描く、宗教等永続性をもつモチーフ
印象派:あえて時間をかけず細かくは仕上げない、自然や動きの瞬間の光を表現したい
という対比はなかなか好き。印象派でもスーラの点描画のようにメチャメチャ時間かけてるものもあるけどね。


さてわたくしいままで印象派なんてあんまり興味がなくて展覧会も行かなかったものだから84点という規模や珍しさがいつもよりどうだというのはよくわからなかったけど、講義で代表作として習った作品や美術の教科書で見るような作品がだいぶ多いのに驚いた。あとでオルセー美術館理事長のコメントを読んだら、やっぱり大きな決心をするほどの数と質だったらしい。
目玉はマネの笛を吹く少年とか、ミレーの晩鐘かな。あとは日本初公開のモネ版草上の昼食とか。
個人的に好きだったのはレアリスム画家たちの描く空の色味と、モネのかささぎ、ジュール・ルフェーヴルの真理。これはアカデミスム(筆が細かく理想的)イエーイってかんじの絵だけど、生で見るべきほんとうにものすごい筆致。
あとはウィリアム・ブグローのダンテとウェルギリウスというめちゃめちゃでっかい作品に包茎おちんがわりとドーンと(状態としてはデレンと)描かれていたのにオオーってなった。アカデミスムだ。
印象派の作品ではシスレーのポール・マルリーやモリゾのゆりかご、モネの死の床のカミーユなんかがとてもよかったな。

出展作品は1850〜80年代ごろ、とくに60年代後半〜70年代のものが多い。日常の切り出しや自然・風景の発見、光や瞬間の抽出とアカデミスムから印象派の定着までにはいろんな過程があるけど、実践されたのはほぼ同時代だから、このころの芸術って貧富や是非の差はあれものすごく盛り上がってたんだと思う。

事前に勉強してると、実際に見たときあっこれ講義でやったやつだって興奮するのもあるし、その時代の画家が先代・同時代の画家の作風やその時代の文明の進歩を少しずつ取り入れて自身のスタイルを作っていったんだなっていうのが絵を見てわかるから楽しいね。時代や文脈を知らないとみんな似たようにボサボサと筆を遊ばせてみただけのなんか有名な絵、になってしまう。

で、そんなふうにできあがった作風のちがいは人という同一モチーフを取る肖像画にとりわけよく表れていると思う。構図や場所や服装、線、色味の取り方が画家それぞれでまったく異なるから、描かれた表情やポーズだけじゃなくて画家選びからその人となりがわかるということもあっただろうな、と思いながら見るのも楽しい。


ん?って思ったとことしては笛を吹く少年が「歴史を変えた傑作」なのかな、ということ。マネでそれを言うなら、今回はなかったけどやっぱり官展で大バッシングを受けたという草上の昼食とかじゃないだろうか。まあ来てたマネ作品のなかで目玉を選ぶならあれなのかな〜とは思った。
あとスタッフの対応がハイパー杜撰。なのと、新美の性格なのか、でかい声でしゃべりながら、とか、カップルで手をつなぎながら、観覧してる人がだいぶいた。


全体はほんとによかったです。
ポストカードはかささぎと、バジールのアトリエと、シャルル・ジャックの羊くんを買いました。真理があれば欲しかったけどわたしの本命はいつも商品化されてない。
9月2日大学生は無料で入れるみたいなので気になる人はぜひ行くべきです。

しかし絵画をレポートにするってスゴク難しい。まあ文学もそうなんだけど、絵なんて文学よりもだいたいの価値言われちゃってるし、見たほうが早いし、深読みすればおもしろくなるとも限らなし。
うーん。

プロダクト・ポエトリーのはなし

備忘です。
文章の書き方を変えてみようという意図もあったんだけど疲れてしまってサッサと終わります。


缶コーヒーをなんの気なしに見つめてみると、大きなロゴの下に小さな文字で書かれた文章に気づく。

"the perfect coffee to start your morning. enjoy the bright and refreshing taste."

たとえばノート、たとえば雑誌、たとえばお菓子の包装紙。
こんな、あってもなくてもいいようなめちゃくちゃどうでもいい文章は身のまわりのあらゆるものに見つけられる。どうでもよくても数が多ければ名前がつく。プロダクト・ポエトリーという。


http://togetter.com/li/21046

↑機能美と賑やかしの差、とか、プロダクト・ポエトリーを入れることであえて商品価値を下げているとか、はたまた無地のものにプロダクト・ポエトリーを入れることで108円の価値にまで引き上げているのか。とか、空間を埋めるカオスや過剰による無情報と安心とか、なるほどね〜と思う話題がいっぱい。

http://pingmag.jp/2007/03/22/japanese-product-poetry/

↑記事。未読。